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2014年9月14日日曜日
旅214日目 会津若松 9月10日
ライダーハウス福々亭。
バイクと自転車が好きなご主人が中華料理屋さんの営業がない夜の間寝場所を提供してくれます。目の手術したばかりでまだ本調子ではないそうですが、朝から顔を出してくれてお味噌汁を作ってくれたりしました。
ありがとうございました!
店の番をしているボスお手がめっちゃ上手。というか言わなくてもする
座敷の掃除機かけてちょっとだけ家具の配置変えるの手伝ってから出発します。
今日は会津若松市内をぶらぶらしていきます。
会津若松市内に戻ってくるとなんやかんやでお昼前になっていたので
なにか美味しいお店しらないかな?と昨日いろいろ話を聞かせてくれた米屋さんを再訪
・・・のはずが
石井商店さんの食卓に上がり込んでちゃっかりごちそうになってます(^q^)
麻婆豆腐に里芋の親芋を使った煮物や漬物、オクラ、トマト、ゴーヤ入りの味噌汁、梨
お昼からこんなにご馳走でいいんでしょうか?里芋の親芋初めて食べたけど甘くてめっちゃ美味いです!
「ごはんもおかずも遠慮しないでどんどん食べてよ。お米は売るほどあるから」
ということで様子を見ながらペースを上げつつ遠慮無く頂いてお釜を空にしたお茶碗6杯目(笑)
昨日の残りとなんとうなぎまで出していただいてほんとにごちそうさまでした!
めっちゃ美味かったです!
隠岐の島で初めて泊めてもらった時の
「お世話になるときは遠慮しないのが礼儀だ」
という言葉を胸にしっかりと刻みつけております・・・・!!
石井さんにも言われたけど遠慮して欲しいなら最初から誘わないだろうしねw
美味しく全部いただくのが日本における旅人の礼儀です。
こいついったいどんだけ食べるんだ・・・と呆れるわんこ
「荷物も重いだろう」と店の隅っこに重い荷物まで置かせてもらって軽い自転車で走り出します。
なんかすごいキャンペーンやってるおさすり地蔵。ご利益にあやかったら東京ディズニーランドのペアチケットが当たるらしい。
鶴ヶ城跡
城もいろいろ呼び名があるのはそういうことらしい。
人工的に削った感じの石垣
野面積みだっけ?年代は古いけどこっちのほうが好きだなぁ
ガイド無料らしいのでおばちゃんのガイドさんに案内お願いして回ります。
すごい頻繁に城主が変わってますね。獲ったり獲られたり譲ったりでごちゃごちゃ。
手前の加工された石垣が江戸時代だったっけ?天守閣の野面積みは多分戦国時代の?
上杉謙信公のお墓跡。上杉謙信公の亡骸は死んでからも各地を転々としていたらしい。
もうちょっとゆっくりさせてあげてもいいのに・・・
第一撮影スポット
荒城の月碑。滝廉太郎は大分の岡城を見ながら作曲しましたが、作詞の土井晩翠は解体された鶴ヶ城を見ながら詩を書いたんだとか。
第2撮影ポイント
石垣を登ってきた敵の狙撃、槍突きポイント。いやらしい石垣の配置です。
赤い橋の奥と手前で堀の水位が違うのは籠城時に奥が飲料水、手前に排水を流すためなんだそう。
第三撮影スポット
明治5年に撮られた戊辰戦争後の鶴ヶ城跡。新政府軍の砲弾跡が生々しくついていますが城自体は燃えずに残っています。
後述しますが白虎隊が見たのは燃えている鶴ヶ城ではなく、燃えている鶴ヶ城跡の周りの武家屋敷だったみたいです。
鶴ヶ城はなにやらそそる入り口ですが中は復元の鉄筋コンクリート製らしいので今回はスルーです。
ここで会津藩の責任を負って中村半次郎が切腹し戊辰戦争が集結しました。
しばらく移動して飯盛山
エスカレーター使うのは有料です。商魂たくましいな!
登って登って上へ。最初からエスカレーター使うと250円、途中から乗ると150円みたいです(^_^;)
白虎隊の墓。
この日は修学旅行生の小学生がたくさん。
白虎隊のお墓や碑の前にみんなで整列してにっこり笑って「コアラのマーチ」でシャッター切るのを横で眺めてるとなんともいたたまれない気持ちになりました。
う~んここはそういう写真撮る場所なんかなぁ・・・
飯沼貞吉の墓。白虎隊でただ一人自害しきれず生き残った人。
この人が生きていたので白虎隊の話が後世に伝えられることになりました。
白虎隊自刃の地。
16、7歳で編成されていた白虎隊はこの地から鶴ヶ城が燃えてるのを見ました。
奥に見える森の真ん中が鶴ヶ城。
このまま城まで戻るのは難しいと悟った白虎隊の面々はこの飯盛山でどうするか話し合い
最終的に自刃するという結論に至り実行しました。
隣で小学生に向けて話す語り部のおばちゃんが居たのですが、子どもたちを飽きさせないためかわざと残酷な描写のみ事細かに効果音までつけて語っているのを聞いてちょっと嫌な気分になりました。
そんなに喉に刃を突き立てて掻き斬る描写が大切かな?修学旅行なら仮に退屈であったとしてももっと語るべきことがあるんじゃなかろうか・・・
さざえ堂。入り口から螺旋状に坂を進んでいくと別の出口にたどり着くというなんとも不思議なお堂。
元々は西国三十三所を回れない人のためにこのお堂を巡れば三十三所を回れるようになっていたそうです。
明治の廃仏毀釈により中の御札などが排除されてしまったので、現在は不思議な建物として残っています。
入場料を払って中へ
金網の部分に西国三十三所の札が入っており巡礼できるようになってたそうです。
柱の向こうに見えるのは下り路?
頂上に着きました。
下って行きます。いやーでも不思議だなこの建物
真裏の出口から出てきて終了です。今だと絶対建築許可降りないだろうなw
白虎隊が敵から逃れて飯盛山まで戻ってくるときに使った水路。
ここを抜けたあと鶴ヶ城を目にし自刃へと続いていきました・・・
会津若松市街へ戻ってきて昨日も寄ったやまでら茶屋へ
こづゆ。会津の郷土料理で干貝柱を出汁に里芋、人参、きくらげ、糸こんにゃく、ぎんなん、まめぶ(久慈のまめぶとは別でお麩のこと)が入った醤油味の汁です。
おめでたい時や人が集まった時には必ず作るおもてなし料理です。
具は必ず決まっており、器は浅めの漆器(会津名物)。めでたい時は赤い漆器、仏事などは黒い漆器で出すみたいです。
有り物でこづゆを作るときは名前が変わり「ざくざく」という家庭料理になるそうです。
味は貝柱の出汁が効いててなかなか美味いです。
もう日が暮れかかっていたので荷物を拾いに石井商店さんに戻ります。
このまま荷物を取って福々亭に戻るつもりだったのですが・・・
晩御飯もまたしっかりごちそうになってます(^q^)
今年はじめてのサンマ!野菜も盛りだくさんで美味しいです!
会津の南瓜の甘さがすごいです・・・!!晩御飯は4杯いただきました。
ほんとにごちそうさまでしたm(__)m
ご飯をいただいてさてこれから福々亭へという時に雨が降ってきました。
それも結構な雨と雷・・・・
すると石井さんが遅くなるといけないからと車に自転車を積んで運んでくれました。
最後の最後までお世話になりっぱなしで・・・ほんとありがとうございました!
また戻ってきてしまったライダーハウス福々亭。
今日は新たなライダー2人と昨日のライダーさんと僕の4人。
新興宗教好きなライダーさんと三草山の話で盛り上がったり、ゲテモノ好きなライダーさんの虫食の話を聞いたり今日も賑やかですww
走行距離:20.46km
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