台風は日本海側へそれて行き八戸は雨も止みました。

さていよいよ八戸とお別れです!
3ヶ月使ったナンバープレートも連日の雨で浸水してしまっていたので新しいものに交換。
元々同じ濃さで印刷したはずなんだけどなぁ(;・∀・)

朝飯は南部こわれせんべい。ちょっと飽きが早いけど湿らせたくないのでボリボリ完食。

八千代旅館さんお世話になりましたm(__)m荷物全部積んで出発です。

ちょっと晴れ間が見えていますが雲も多めたまにパラパラっと来ることも

道の駅はしかみ。階上と書いてはしかみと読みます。

道の駅の裏にはそば畑。まだ植えて間もない様子で10月頃収穫の予定だそう

今朝のせんべいじゃちょっとスタミナ不足感じてたので階上そばをいただきます。
今更だけど東北は恐らく麺文化ってのは結構最近入ってきたっぽい感じがします。
おそらく基本はだんごやせんべい系の文化ですね。

というわけで麦もち。あんまんを圧縮したらこんな感じになりそう。
味はあんまんとほぼ一緒なのですが生地は発酵無しでホントに餅みたいにギュッと詰まってます。

そして岩手県に入り三陸海岸が見えてきました。


種市高校潜水実習棟。どっかで見たことがあるような・・・・

三陸海岸にも田んぼはあるんですね。

洋野町の歴史民俗資料館へ。ここは無料で展示を見ることができます。

ここ種市(現在は合併で洋野町)は南部潜りの発祥の地だそう。
明治にイギリスから技術が入ってきたのですが、潜水病など危険を伴うので他の地域では続かず
ここ種市はなんとか潜水の技術を取り込み南部潜りが出来上がったそうです。
南部潜りでは主な仕事は漁業ではなくより専門性の高い土木作業になるそうです。

種市の港も平成の三陸沖地震の時に津波に襲われました。
津波の高さは最大15m。防波堤の向こうの建物は全滅。水門も第一波は耐えましたが第二波には耐え切れず町の一部が浸水しました。
しかし幸いにも防波堤と避難のおかげ洋野町での死者行方不明はなかったそうです。

この厚さの水門が破られるとは・・・・


ホヤ貝が食べてみたかったので種市の食堂へ。
このはまなす亭は震災前までは堤防の向こう側にあったのですが津波で全壊。
震災の1年後に堤防の内側に移って営業を再開したそうです。

ホヤめし定食。ホヤ貝って結構独特な香りがありますね。僕は好きですが人によっては無理かも・・・・

町のいたるところに海抜を示す札が立っています。20.8m、津波が15mなのでここは大丈夫だったのか


人里を抜けると明らかに津波の跡と思われる木々がそのまま残っていました。

三陸鉄道の鉄橋が流されたとか聞いたけどここのことなのかな?

実際に浸水していたことを示す標識。防波堤がない区間なのでけっこう上まで水が来てたんですね。


手前の家が新しく見えるのは流されたからかもしれません。

あれ?ここは・・・・
昨日朝市で食べた豆腐田楽のお店でした(゚д゚)!
ここから久慈方面へ行くと豆腐田楽屋さんが増えてくるそうです。
せっかくなので休憩がてら一本いただきます。

やはり甘さが控えめのお味噌の田楽です。美味い
アクエリアスと特別におかわり1本頂きながら、震災のことについて話しをしていました。

もうしばらく走って峠を越えると

久慈です。

久慈はNHKの朝ドラあまちゃんの舞台です。

三陸鉄道
久慈に来たのは郷土料理のまめぶを食べるため!

まめぶは海側でなく少し山のほうの食べ物らしく、山のほうから来た人がやってるまめぶのお店を尋ねたのですが臨時休業( ;∀;)仕方ない・・・道の駅で食べよう・・・

道の駅くじの中にある久慈の山車。うん・・・もうちょっとお上品なほうが好きかも

あまちゃん山車

これがまめぶ!醤油ベースの出汁に野菜と小麦の団子が入ってるので基本てきにはひっつみと同じ印象を受けますが

団子の中には黒砂糖とくるみが入っています(゚д゚)!
なのでしょっぱいなかに突然甘さが現れます。
醤油味のお汁を飲んでから甘いきな粉をまぶした団子を口の中に放り込むときっとこんな味になりそう!
僕は嫌いじゃない、いやどっちかというと好きですww

海岸へ行くと防波堤の補修工事中。
久慈も15mの津波に襲われ、残念ながら死者行方不明が5人出てしまったそうです。

海沿いの公園。

この山は震災のモニュメント。この山の高さの津波が来たそうです。

こっちは平成3年に建てられた碑。津波に襲われた時についたのか傷だらけになっています。
道の駅くじへ戻って今日はここで過ごすことにします。
ねぶた祭で隣のテントだった方と偶然の再会ですww
明日は小袖の海女センターを通って先へ進もうかと考えています。
走行距離:68.74km

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